2004.11.05更新

ティツィアーノ・テルツァーニの世界

Tiziano =Terzani

1938-2004


このページでは、イタリア人ジャーナリストTiziano Terzani (1938-2004)の著作の紹介と私の翻訳原稿を掲載しています。

彼は、以下の「ティツィアーノ・テルツァーニについて」にある通り、アジアに長いこと暮らしてきたイタリア人ジャーナリストで、その独特な観察力と行動力で多くの読者を魅了してきました。9・11テロ後はイタリアの反戦平和運動のシンボル的存在でもありました。

私にイタリア語の本が読める喜びを初めて与えてくれた恩人であり、世界を見つめる新たな眼を授けてくれた恩人でもあります。



2004年7月28日、テルツァーニ氏は帰らぬ人となりました。
彼の最期の旅立ちにささげたページを作りましたので、ご覧下さい。
*ここをクリックして下さい*


このページの下部に、テルツァーニ作品一覧を作りました
2004年10月16日現在、
『アジアにて』『占い師は言った』『反戦の手紙』『メリーゴーランドのさらなる一周』
の訳の一部を読むことが出来ます。



ティツィアーノ・テルツァーニについて


  
1938年、フィレンツェ生まれ。ピサで学業を終えた後、1965年、企業研修の講師としてオリヴェッティ社により日本に派遣されたのが、彼の初めてのアジア訪問となる。
 ジャーナリストとなった彼が、アジア大陸を隅々まで探訪することを決意するのは、1971年、妻(ドイツ人作家Angela Staude)と二人の小さな子供たちと共にシンガポールに移り住み、ドイツの週刊誌デル・シュピーゲルの海外特派員として働き始めた時の事である。
 1973年、ベトナム戦争に捧げられた処女作『Pelle di leopardo(豹の毛皮)』を上梓。
 1975年、サイゴンに留まった僅かなジャーナリストたちの一人として、共産主義者たちの政権獲得の瞬間に立ち会う。この類い稀なる経験から、『Giai Phong! La liberazione di Saigon(サイゴン解放)』が生まれる。同書は様々な言語に翻訳された上、アメリカでは「Book of the Month(今月の一冊)」にも選ばれた。四年間の香港生活の後の1979年、やはり家族と共に、北京に移り住む。1981年、ベトナム軍のカンボジアへの軍事介入直後のプノンペンを訪れた旅の経験から、『Holocaust in Kambodscha(カンボジアの大虐殺)』を出版。長きに渡った中国滞在は、彼の「反革命活動罪」による逮捕とそれに続く国外退去によって幕を閉じる。中国滞在の経験とその劇的なエピローグは1985年の『La porta proibita(禁断の扉)』に結実し、同書はイタリア・アメリカ・イギリスで同時出版される。そして、1985年まで再び香港に暮らし、1990年まで東京、それからバンコクへと彼の放浪は続いて行く。
 
1991年、シベリアにて中ソ合同調査団と行動を共にしていた際に、ゴルバチョフ政権に対するクーデター勃発の知らせを聞きつけた彼はモスクワへと向かう。この長い旅が後に『Buonanotte, Signor Lenin(おやすみなさい、レーニン)』(1992)となる。同書はソヴィエトの帝国崩壊を間近で目撃し、記録した貴重な証言である。
 彼の著作活動の中で特別な位置を占めるのが、次に出版された『Un indovino mi disse(占い師は言った)』(1993)である。それは、アジア特派員としての職務を「平常通り」こなしつつ、一度も飛行機に乗ることなく過ごした一年間(1993年)の記録である。
 1997年、名誉ある「ルイージ・バルツィーニ賞/特派員部門賞」を授与される。
 1998年、『In Asia(アジアにて)』を出版。ルポルタージュと自伝の要素を併せ持った同書では、ここ三十年間のアジア現代史を象徴して来た数々の出来事の克明な描写がなされている。2002年3月、彼は『Lettere contro la guerra(反戦の手紙)』を出版する事で、2001年9月11日のニューヨーク・テロ以降巻き起こった論争に一石を投じることとなった。
 三十年に渡るデル・シュピーゲル誌との契約を終え、現在インドに暮らす彼ではあるが、普段はヒマラヤ山脈のふもとの小屋で隠遁生活をしている。

以上、『Pelle di Leopardo(豹の毛皮)』(Longanesi社2002年度新装版)より訳出

2004年7月28日深夜、テルツァーニは帰らぬ人となりました

著者に捧げられたホームページ(英語・イタリア語)
http://www.tizianoterzani.com/
写真のページ
http://www.tizianoterzani.com/en_preslide.php?&dire=foto

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作品一覧

背表紙解説の訳

一部作品は、私の日本語訳も読むことが出来ます。
日本語版不在の作品についてご興味をお持ちの出版関係の方は、お気軽にご連絡下さい(飯田:info@ryosukal.com)。
サマリーをお届けします



 

PELLE DI LEOPARDO/ GIAI PHONG! (1973年, 1976年初版、2002年新版)
ヒョウの毛皮/ ジャイフォン!(サイゴン解放)

1972年にベトナムに到着した時、ティツィアーノ・テルツァーニは――彼自身が書いているように――「楽観主義者で、いつも笑顔、希望に満ちた」若い特派員だった。あの戦争の証言である自らの体験をつづった日記は、翌年、Pelle di leopardoのタイトルで出版されることになった。1975年、彼はふたたびベトナムに滞在し、サイゴン解放の瞬間にたちあった数少ない欧米ジャーナリストの一人となる。1976年に出版されたGiai Phong!はあの熱に浮かされたような数ヶ月のさまざまな政治的駆け引きとベトナム戦争の舞台裏を再現する作品である。25年がたった今、作者の新たな序文とともに一冊になって改めて世に問われるこの二冊は、戦いの数々とベトナム戦争の顛末を描写するのみならず、一般市民の苦しみ、そして、教会と工場、恨みと赦しのあいだに作者が見た、争いのあとの物質的・倫理的な変化も描き出す。疲れを知らない旅人の読むものを夢中にさせるレポート、過去を理解するための貴重な証言、戦争の報告にとどまらぬ、もはや歴史的名著となったこのドキュメントである本書は、その真実と美しさをそのままに、わたしたちの元に帰ってきた。それは真の作家にのみ可能なことである。


 

LA PORTA PROIBITA(1985)
禁断の扉(紫禁門)

「今日、中国でおきていることの全ては――それは明日からもおこりうることだが――わたしと他の少数のじつに幸運な外国人ジャーナリストたちが中国人民とともに生活する機会を得た、あの数年間にその原因があるのだ」ティツィアーノ・テルツァーニ

本書のなかでテルツァーニは中国での自らの体験を語る。四年にわたる生活の最後に、この著名なジャーナリストは逮捕され、厳しい尋問を受け、国外追放される。豊かな情報と考察、作者の様々な思いが詰まった本書は、ジャーナリスティックなルポルタージュであると同時に旅行記であり、現代中国研究の論文でもあり、そして、人間味のある冒険を描いた魅力的な小説でもある。


 

BUONANOTTE SIGNOR LENIN(1992)
おやすみなさい、レーニンさん

1991年の8月、モスクワでゴルバチョフ政権に対するクーデターが起きたとの知らせを受けた時、テルツァーニはシベリアのアムール河沿岸にいた。彼は首都へと向う旅をすることをすぐさま決意する。それはシベリア、中央アジア、コーカサスを横切る二ヶ月にわたる旅となった。その類い稀なる経験を記録したメモ、考察、写真から、本書は成立している。これは歴史的な大事件の現地からの直接証言であり、さまざまな登場人物に多彩な民族の展覧会であり、伝説的なかずかずの街に名も無き土地、過去の足跡と来たるものの横暴なシグナル、そのすべてを概観した一冊である。この比類なき旅(とその本)は、ソビエト帝国の決定的な落日のスナップショットがわたしたちに届けてくれたものだ。


 

UN INDOVINO MI DISSE(1995)
占い師は言った

1976年の春、香港で、本書の筆者に一人の年老いた中国人占い師がこう言った「気をつけろ!1993年、お前を死の大きな危険が襲うだろう。その年は飛んではいけない。絶対に飛ぶな。」長い年月が過ぎたが、テルツァーニはその予言を(幸運なことに…)忘れはしなかった。むしろ、彼はそれを世界を新たな眼で見つめるためのチャンスに変化させたーー彼は1年間、本当に飛行機にのらないことに決める。しかも、海外特派員の職務を中止することなく。その体験の結実がこの本、冒険小説と自伝、旅行記、そして偉大なルポルタージュが一緒になった類い稀な一冊である。

訳文はこちらから


 

IN ASIA (1998)
アジアにて

ティツィアーノ・テルツァーニとアジア、それはとても長い物語だ。そもそもテルツァーニがアジアを語るのか、アジアがテルツァーニを語るのか?その問いに答えるのは難しい。最も多くの謎に満ち、最も矛盾した大陸とこの男が結ぶことを決めたそのきずなは(1965年からである)それほど強い。自伝とルポルタージュ、社会風俗のレポート、冒険談といった魅力的なバラエティーに富んだ話題を網羅するこの本を読みすすめてゆくなかで読者は、ここ30年間のアジア史に刻印をのこしてきた出来事のかずかずを再体験し、今のアジアを作り上げたいくつかの大きな理想について・歴史を変えた主人公たちについて改めて想いを巡らし、そして、アジアの未来をかいま見ることになる。それと同時にテルツァーニはわたしたちに、「もう一つの」声、「本当の」東洋の声にも耳を傾けるよう促す。女たちに男たち、多くの問題・対立・儀式・好奇心、、、そしてアジア大陸の住人たちの幾千の顔に囲まれて、テルツァーニが日常生活をすごした「本当の」東洋の声。彼らアジアの住人たちこそ、始まったばかりのこの新世紀に最も大きな影響をおよぼす運命にあるようにみえる。

訳文はこちらから


LETTERE CONTRO LA GUERRA (2002)
反戦の手紙

「戦争の原因のほとんどはほかでもなく、われわれ自身の中にある。欲望や恐怖・不安・どん欲さ・プライド・虚栄心のような情念の中にこそ、その原因があるのだ」。

「わたしたちは徐々に、それらの情念から解放されていかなくてはならない。生きる姿勢を変える必要があるのだ。決めるべきことは、それが自分にかかわることであろうとなかろうと、損得勘定だけではなく、なにより道徳心にしたがって決断するようにしてみよう。自分に都合がいいことよりも、正しいことをおこなうように心がけよう。そして子どもたちは、ずる賢く育てるかわりに、正直に育てよう」。

「外に出て行動するべきときはいまだ。そしていまこそ人は、おのれの信じる理想のために全力をつくさなくてはならない。文明とは、軍備の増強をするよりも、道徳的な決意をもつことによってずっと強固になるものなのだから」。

訳文はこちらから

 

反戦の手紙(日本語版)(2004)

9・11を目にし、ヒマラヤを眺める地で隠遁生活を送っていた著名ジャーナリストは、「山を下りる」ことを決めた。徒手空拳の彼は、戦乱のアフガンの地を踏み、ヨーロッパで非暴力を訴え、いま、彼の愛した日本の友人たちへの心を揺さぶるメッセージを届けてくれた。


 

UN ALTRO GIRO DI GIOSTRA(2004)
メリーゴーランドのさらなる一周

 旅をすることが常にテルツァーニの生き方であったから、自分の命が危機にあると告げられた時、解決策をもとめる旅に出ることがその知らせに対する彼の直感的な答えとなった。ただ今回の旅はそれまでとは異なる旅であり、最も困難な旅であった。その一歩一歩に、そして、ある時は理性と狂気のあいだで、ある時は科学と魔術のあいだで行われる一つ一つの選択に、彼の生存がかかっていたからだ。

   旅をしながらテルツァーニはメモをとっていった。

   ニューヨークでの長い滞在とカリフォルニアの「オルターナティブ(代替・もう一つの選択)」センターでの体験からは、不安に満ちたアメリカの肖像が生まれた。   あるアシュラム(修業場)でひとりの修行僧(弟子)として過ごしたの三ヶ月をふくめ、彼を助けうる何か・誰かを常に探し求めながらの長いインド放浪により、テルツァーニはインドが人類に与えうる最も深遠なヴィジョン、人類の精神性に到達する。

   あらゆる文化は、病と痛みをはじめとした様々な問題に対するそれぞれの解決策をもっている。ホメオパシーに関心をもったのをきっかけに、テルツァーニは東洋の諸文化に目を向け、奇妙な食餌療法・薬草・聖歌の詠唱にいたるまで、それぞれの解決策を自分の体で試してゆく。旅のなかで彼が体験する療法には、チベット医学・漢方・アーユルヴェーダ医学・気功・霊気・ヨガ・プラーナ療法がある。

   治療法をもとめる外の世界での旅はその最後に、人類の神聖なる根源へと回帰するための内面的な旅に変化する。ヒマラヤでのある老賢者との偶然の出会いが――無論それはただの偶然ではない、なぜならわたしたちの人生に偶然におこることはひとつもないからだ――彼の歩みの終わりを告げる。

   雄大な自然の静寂のなかでテルツァーニが得た結論は、まず何よりも宇宙と調和し、自分自身と調和することであり、大空をながめ、一つの雲になることが出来るようにすることであり、そして、「メロディーを聴く」ことであった。

   治療法のなかの治療法とは、物事の観点を変え、自分自身を変えることであり、そうした自己の内面における変革をもって、より良い世界の実現に貢献することにある。ではその他のことはすべて無駄なのだろうか?そんなことはない。なにもかもが役に立つ。わたしたちの人生においては精神(心)が大きな役割を果たしている。奇跡も存在する。だが、一人ひとりが自分の奇跡の創造者にならなくてはいけない。

      これはアメリカについての本であり、インドについての本であり、西洋医学の本であり、オルターナティブ医学の本でもあり、自己のアイデンティティー探求についての本でもある。つまり、幾つもの本がひとつになった一冊なのだ。ほほ笑ましい軽い本でもあり、現代社会における人生の問題点をのべた本でもあり、わたしたちの内にも外にもあるこの宇宙の、今なお素晴らしいものごとを記した本でもある。

訳文はこちらから


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