モントットーネ村の日々

村の写真・はじめに

結婚/2003.10.9 NEW!
ブルース・ハーピスト復活! /2001.3.4
Siamo ormai furoi strada! /2001.2.8
なぜRyosukal? /2001.1.29
家具職人のとっつあんと/2000.9.5



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 Montottoneは人口1000人のラインを危うく保っている、イタリア中部Marche(マルケ)県の村である。
 どんなところか説明するために、まず、日本昔話に出て来るような丸い小山を思い出していただきたい。その小山の木々を全部切り取って裸にし、小麦畑や牧場やひまわり畑、そしてぶどう畑に置き換えて欲しい。そんな小山が連なった丘陵地帯がマルケ県の大まかな風景である。そして、その小山の幾つかにはMontottoneのような小さな村から、もう少し大きな村、そして町がのっているわけである。
 なんで、そんな村で僕、一人の日本人がうろうろしているのかというと、そこが中国で知り合った恋人の故郷だからだ。
 その人の名をマヌーという。
 ありふれた名前であることは、この村にさえおそらく10人以上のマヌーがいることでも分かる。
 
というふうに、このページではイタリアでの生活、身の回りの出来事などを綴って見たいと思います。

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5/9/2000

家具職人のおとっつあんと


 家具職人のおとっつあんと今日も働いた。マヌーのお父さんは家具職人である。ここでは彼のことを「おとっつあん」と呼ぼう。お義父さんと書くのも何だか先走っているようだし、師匠というには僕は弟子ではない。いつも呼んでる様にコッラッドと、ファーストネームで書くのがよろしい気もするが、とっつあんと書くのが一番よい気がする。そんな人である。
 今日の仕事もいつものように、どこか近所の誰かが「コッラッド頼むよ」と置いてった、100年以上前のクヌギ材のタンスの修理だ。持ち主の家族も本当は捨てようと思っていたんじゃないかと思ったくらいボロボロだ。
 ---昨日のこと。さあいよいよ捨てるぞと、お父さんと息子がタンスを持ち上げた時、それまで黙って海の方を見てたおばあさんが、「コッラッドのとこに持ってて見たらどうかの」と控えめに言い、その言葉に皆は、そのタンスがおばあさんの嫁入り道具であり、今は亡きおじいさんとの貧しかった新婚生活の風景のなかに頼もしげに腰を据えていただろう事までも思い出した、そこでおばあさんの言葉通り、ここ、おとっつあんの仕事場にタンスは運ばれてきたのだ--- てな、ストーリーは無かったのだろうけど、そんな想像をしてしまうくらいボロボロなのだ。 そんなタンスや椅子や机やらの主に修理、修復が彼の仕事だ。クモの巣だらけで、暖炉の薪にするしか使い道の無さそうな百年も前の家具が彼の手にかかると、素晴しい骨董品に生まれ変わる。そして、屋根裏部屋で見付け出されたようなおんぼろ家具は、歴史のある実用品として生活の舞台に帰っていくのだ。本当にいい仕事だと思う。 「日本に輸出したらいい商売になるなぁ」という俗な考えも浮かんだ。けれど、中途半端に欧米化した日本の応接間やプラスティックの積水ハウスには、桐の和ダンスがもはや似合わないのと同じく、イタリアの手作り家具も似合わないことだろう。
 それにおとっつあんは、年金生活者だ。本当はもう仕事をしてはいけない所を一応、内緒で稼いでいるのだから、海外との取り引きなどもってのほか。
 けれど、、、内緒で働いている割には日々注文が来るし、村の皆も知っているところがイタリアらしい。 
 

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2000/1/29

なぜRyosukal?リョスカル?


 「リョーシュ」「ブリョーシュ」「ヨーク」「オスカル」「ヨー」「リィオースゥケー」「ディオ」、、、以上の単語はイタリア語ではない。日本語のはずだ、少なくとも僕の出会ったイタリア人にとっては。「名前は?」「亮介、リョウって呼んでくれてもいいぜ。」ここまでは、日本でもよくある会話である。けれど、イタリアではこの先が長い。必ず、「Come??」(何だって?)という言葉が帰ってくるのだ。「R,Y,O,S,U,K,Eでリョウスケだよ」と長くなるだろう説明におびえながら、僕は言う。そして僕らのがまんくらべが始まる、、、
 「ヨースケ?」
 「いや、リョースケだ、リョウ! 」
 「ディオスゥケ?」
 「リョウ!」
 「ああ、O.K. ディオだろディオ」
 「、、、、(ディオって神様じゃん!)」
 そもそも、標準イタリア語には日本語の「リ」と同じ発音が存在しない。「標準」と書いたのは数知れないバリエーションを持つイタリアの地方語の中には同じ発音があるかもしれないからだ。イタリア語にもRとLの発音はもちろんあるけれど、どうやら日本語の「リ」はイタリア語の「Ri」「 Li」の丁度中間の音に当たるらしい。ヘボン式のローマ字「RYO」はイタリア語には存在しない綴りで、これ又彼等には発音のしようがない。聴いたことのない外国語の発音は聞きのがされるか、それに近い母国語の発音に置き換えられしまうのが音声言語学的常識のようだ、つまり僕の日本語の名前がイタリア人の耳に届き、イタリア人の神経を通過し、イタリア人の脳にたどり着いた時、それはもうすでに日本語ではなくイタリア語風に転換されてしまっているという現象が生じる。
 外国語を学んだことのある、もしくは音への感覚が鋭いイタリア人ならば何とか最後には僕の名前を習得することが出来る。けれども、そんな二人とも満足感に包まれる幸せな結末は数えるほどしかない。結果、最初にあげた僕の名前の怪しげなイタリア語バージョンが数多く生まれてきた。
 今回の渡航の直前、イタリアのプロバイダーで新しいメールアドレスを作る機会に恵まれた。hotmail以外で自分だけのアドレスを持つのは初めてだったから、よく考えて見ようと思った。1.イタリア人にも分かりやすいもの。2.iida122@など既存のアドレス+番号ではなく、世界で唯一のアドレス3.自分の名前と関係のあるもの、、、
 一生懸命考えたあげく、「オスカル?」と僕の名前を聞き取るイタリア人が幾人か居たことをおもいだした。しかし、「オスカル」と言えばベルサイユのバラだし、僕の柄ではない。そこで、亮介のリョを付け加え、Ryosukalとなった。
 以上が、僕の新しいあだ名の由来である。が、誰も僕をリョスカルとは呼ばないし、僕も呼んで貰おうとはおもわない。あだ名は「ヤマオ」で十分だ。それに、いくら面倒くさくても自己紹介は自分の本当の名前でしたいから。
 こうして今日も又、「ヨーじゃなくてリョウ! 」と僕の苦労は続くのである。 (後記。最近は諦めて、リオと名乗る事にしました。"RIO"は河と言う意味のようで、なかなか良いでしょう?)

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