モントットーネ村から

第9号 天使

2004年2月22日

ご無沙汰しております。日本からモントットーネに帰ってきて、既に三週間がたちました。「モントットーネ村から」は隔週のお約束ではじめましたが、気分屋の自分にはどうもお約束を守ることができないことが判明いたしました。申し訳ありません。念のため、不定期発行(月に二回以上予定)に変更させて頂きます。

先日、ローマに行ってきました。わざわざ日本からモントットーネまで遊びに来てくれた大学時代の後輩の帰国見送りと大使館に行く用事をすませた私には、半日の自由時間がありました。ローマにはいくらでも見るべきものがありますし、まだ私が見たことのない素晴らしい芸術作品も山ほどあります。しばらく考えたすえ、今回は以前に強く心にのこったベルニーニ作の天使象を再訪することにしました。今回はデジカメも持っていましたから、「しばらく出してないニュースメールのネタにもなるだろう」という下心もありました。

 ベルニーニ作の天使像二体は、スペイン広場そばの小さな教会にあります。普段から重いガイドブックを持ち歩くのが苦手な私は、前回、そこにたどり着くのにひどく苦労しました。教会の名前とベルニーニの天使像があるということだけを頼りに、おおまかな位置もしらずに、道行く人にたずねたずね、たどり着いたためです。イタリア人とは、なにか訊ねられると「知らない」と無知を認めることが苦手な人々のようで、事実なのか個人的な想像なのか分からぬ答えにほんろうされることがよくあります。その時も、おかげでまったく関係のない教会をさんざんめぐり歩いたような記憶があります。その代わり、費やした努力の分だけ、この天使たちとの出会いはまるで自分がその存在を「発見」したような喜びもありました。これは、時間のある旅人にはお薦めの歩き方です。有名ガイド「xxの歩き方」には乗っていない歩き方でもあります。

 こうして天使たちと初めて出会い、その前にたたずんだ時、彼らが象徴するキリスト教の「神の正義」の意味を私は強く考えさせられました。天使は決して優しいものではなく、むしろ無慈悲に神の正義を地上で実行する、美しくも恐ろしい存在として私に迫ってきたのです。「絶対的な正義」「決して人間には到達できない完全さ」「冷徹な裁き」「完全であるがための絶対的な美」一一天使たちは、これらの印象を私に突きつけてきました。それは日本の仏像・神像のまえでは、わたしが決していだいたことのなかった印象でした。日本の仏像を前にし、自分をむなしくしていると、いつかその美を前に自分の存在がたち消え、おおきな存在につつまれたような安らぎを感じることがあります。人が死ぬと「仏になる」という表現が今でもあるように、日本の神仏は人間にもいつか到達できる存在のようです。ところが私の見た天使たちには、不完全なものである人間に対する拒否を感じ、そのことに私はひどく驚きました。

 教会を出たわたしは違和感と畏怖と感動の入り交じった非常な複雑な気分で、ローマの町をふらふらと酔っ払いのように(もしくは何かの薬物で酩酊しているかのように)歩き回ったのを覚えています。

 いま思ったのですが、イタリアでは「Madonna(マドンナ・聖母マリア)」信仰が非常に盛んです。キリスト本人よりも人気があるのではないか、そう思われるくらい、日本の田舎のお地蔵様、道祖神のように聖母像があちこちにあります。彼女の人間をやさしく包み込むような姿は、神の厳しさを中和する、より人間的な存在としてイタリア人に愛されているのかもしれません。キリスト教以前にあった多神教の時代の地母神が変化したものとも言われています。「絶対的」な神だけでは、やはりつらいものがあるのでしょうか。

 

さて、今回の再訪にあたり、「この神性の相違は、日本人がキリスト教社会(西洋一般)を理解しようとした時に、根本的に理解すべきもののようだ」という前回の直感を再確認し、なんとかみなさんに報告してみたいと思いました。ところが……
今回は思考する余裕もないくらいに、天使たちの美に圧倒されてしまいました。なんとかその美にカメラを向け、無謀にもそこからなにかを表現しようとしている自分が卑小に感じられるくらい、圧倒されました。わたしの写真では表現しようのない大きなものがそこにはありました。言葉にするのも無理だと思いました。言葉を紡ぎだすべき私の思考はほとんどかき消されたようになっていましたから。その日、その場所、その時の自分にしか感じようがないものかもしれません。驚きました。魂まで吸い取られたようになりました。美とは恐ろしいものです。それに、はたして「美」のひとことで片づけてしまっていいのだろうか……
 そんなわけで、今回もまた、ふらふらとローマの夕暮れの中をさまよい歩くことになりました。気持ちが収まるまでには、かなりの時間がかかりました。ことの善し悪しを乗り越えた圧倒的な体験でした。感動した、と気持ち良さげに語ることの出来る体験ではありませんでした。やはり、納得のゆく表現はわたしの筆力では出来ないようです。ここまでに致します。
 飯田亮介のローマで驚いた話でした。どっとはらい。




モントットーネより
飯田 亮介


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