モントットーネ村から

第3号「号外」

2003年12月2日

 「あれ、日曜日にとどいたばかりだぞ」「『隔週発行』って、嘘ばっか!」「刊行早々、『号外』とは如何に」と思われた方もいるのではないでしょうか。前号から三日後に発行するのには訳があります。今日はすこし特別なことがあったのです。写真の絵はがきが、インドからモントットーネに届いたのです。

フィレンツエ生まれのサンタクロース

 「なんだこのサンタクロースは!」「さては、飯田のヨガの師匠か?」「イタリアにいるなんて、嘘ついて、、、やっぱりインドにいたのか!」などと勘ぐる声がきこえてきます。
 全部はずれです。このサンタクロース、なみのご老人ではありません。師匠であることはたしかですが、いまだ見ぬ「心の師」です。インドに行きたいとは常々思いますが、残念ながらかの国はまだ私をよんでくれません。そのかわりとでも言うかのように、ヒマラヤ山中に隠遁生活中のイタリア人である彼から、モントットーネ村の私にはがきが届いたのです。
 その名をティツィアーノ・テルツァーニといいます。横でヒゲを引っ張っているのは彼の孫のノヴァリスちゃんです。彼はかれこれ30年以上もアジアに暮らしつづける著名なイタリア人ジャーナリストです。日本に五年間くらしていたこともあります。そもそも彼がアジアにくらすことになったきっかけが、1960年代、勤めていたイタリア商社の出張で訪れた日本での一ヶ月でした。
 わたしのホームページを訪れて下さった方は、もう彼のこともご存じかも知れませんね。そうです、かれは今わたしが翻訳中で、一月の半ばに出版予定の「反戦の手紙(仮題)」の作者です。細かい説明はわたしのホームページの該当ページをご参照ください。
 現在、「反戦の手紙」の序文を翻訳中です。序文に、たいへん素晴らしい日本人へのメッセージをいただきました。自分がそれを翻訳できる幸福感と責任感の入りまじったハイテンションで、夜も眠れぬほどです。そんなところに届いたテルツァーニ氏からの絵はがき、そしてその笑顔は「ヘヘ〜ン、難しかろう?」と私をからかっているようでもあり、「それでいいんだ」と励ましてくれているようでもあり、とても嬉しくなりました。そこで、みなさんにもこの知らせを伝えたくなったわけです。
 刊行はまだすこし先ですが、日本の出版社には内緒で、序文「わが日本の友へ」の原稿の一部を公開したいとおもいます。イラクに自衛隊がまだ届いてない今だからこそ、伝えたい文章でもあるからです。出版社の許可を頂ければ、序文全文をそのうち、ホームページで公開したいとも思っています。
ーーーーーーーーーーーーーー以下引用ですーーーーーーーーーーーーー

『日本の友よ、つまりここで問われているのは、イラクに自衛隊を派遣するかしないか、派遣するならば今か後か、100人送るか1000人送るか、それとも2000人かなどということではないのだ。そのような問いは、国民のだれもを納得させて再当選をはたすために、アクロバットと妥協をつづけざるをえない政治家たちのジレンマにすぎない。そこには全人類的な価値への関心、正しいことや倫理的なことへの考慮などが完全に欠落している。むしろ私とあなたにとって問題なのは、暴力と戦争はなにも解決しないということ、きな臭いあらゆることに対して私たちは、たとえそれが「自衛行為」とか「人道的作戦」などというふうに説明される時も、もちうる力のすべてを以て反対しなければならないということを、どのような状況にあっても、自分の意志できっぱりと決意することなのだ。』
『イタリア人も日本人もない、わたしたちはみんな人間なのだ。あなたたちがその美しい島々のうえ、他の仲間から少しはなれたところにいるという事実は、あなたたちを何ひとつ守ってくれはしない。なんらかの形で暴力に加担すれば、やがて暴力があなたたちをも襲うことはまちがいがないのだ。』
『この先、わたしたち、それにあなたたち自身が暴力の犠牲者となることもありうる。だが万一そうなったからと言って、非暴力の姿勢を変えてはならない。だれに対する憎しみも決して抱いてはならない。なぜなら憎しみは憎しみだけを生むからだ。』
ーーーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーーーーーー
「非暴力」などというと、一部の人間の極端な思想だと思われがちですが、彼の言葉を借りれば、『私はあなたの子供を殺さない。だからあなたも私の子供を殺さないでくれ』というような、誰もがもつ、人間として当然な感覚に根ざした思想なのです。「憎しみは憎しみをうむだけだ」という理念を理解することは、そう難しいことではないと思います。
かつて私に「お前の恋人が陵辱されても、お前は黙っていられるのか」というじつに明快で、厳しい問い掛けをしてきた人がいました。「そうだ」と言い切れる力は、私にはまだありません。けれども、「その可能性を防ぐために、まずそいつを叩く」ということがあってはならないと思います。まして、「人道的戦争」と呼ばれるものの犠牲者のじつに八割以上が「間違い、もしくは副次的効果」による無辜の民間人である今の時代には。
 その犠牲者の親族・友人・民族から、テロリストは生まれるのです。


モントットーネ村より、
飯田 亮介


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